1部は全面スクリーンにどうぶつたちの映像や絵本を投影しピアノと呼応、2部は七ヶ浜の海と自然を背景に 草木の揺らぎを感じながら自然と音楽が共鳴し合う、この全く異なるふたつの演奏会を是非ご堪能ください。
僕が望んでいることは、きっと皆さんと同じです。 人間も動物もたった1つの命を大切に思い合える社会を、 一緒に作っていきたいですね。
2月にホールで行ったリハーサルより「100万回生きたねこ」の冒頭部分と、昨年のネットdeにゃっ展での収録映像の一部です。
1978年生まれ。
オランダ・アムステルダム、ドイツ・ベルリンで研鑽を積み、イタリアでの18th Citta di Valentino International Competitionで第1位、アメリカでのGolden Classical Music Awards International Competition第1位を受賞。
日本国内主要都市をはじめ、アメリカ合衆国、ドイツ、オランダ、オーストリア、スロヴァキア、イタリア、セルビア、マレーシア、韓国など世界各国で演奏を行なっている。
ローマではメディチ荘および在ローマ日本文化会館に招聘され「酒井健治ピアノ作品全曲演奏会」を行うなど、近年は同時代の作曲家の作品に積極的に取り組み、その演奏は、The New York Times(アメリカ合衆国)をはじめ、Die Neue Zeitschrift für Musik(ドイツ)、Rundfunk Berlin-Brandenburg(ドイツ)などで取り上げられている。
スロヴァキア国立歌劇場管弦楽団をはじめ国内外のオーケストラとの共演。室内楽奏者として、NHK交響楽団、サイトウ・キネン・オーケストラ、名古屋フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、広島交響楽団、ブレーメン・フィルハーモニー管弦楽団、香港シンフォニエッタ、マレーシア国立交響楽団各奏者との共演など、活発に活動を行なっている。
録音は、国内でディスク・クラシカよりCD <Beethoven, Activated>と<ベートーヴェン/リスト:交響曲第7番他>をリリース。
ヨーロッパにおいては、ベルリンのKreuzberg Recordより世界初録音の4曲を収録したTrio kuのCDアルバムがリリースされている。
また、iNos Recordsよりインターネット配信限定となる<ムソルグスキー:展覧会の絵>、<ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番>がiTunes、AmazonMP3などを通して世界111ヶ国の国と地域にリリースされている。
現在、福山平成大学教授、広島大学客員教授、エリザベト音楽大学大学院非常勤講師をつとめると同時に、マレーシアのSEGi College universityでのマスタークラス、トーキョーワンダーサイトでのワークショップなど、各地で後進の指導を行っている。
兄妹の中で一番気弱そうなのが、オッドアイの白猫、銀太郎でした。知人から引き取った銀太郎との生活は、それはそれは楽しいものでした。たくさん笑わせてくれ、たくさん遊びました。
2歳になって間もなく、銀太郎はすい臓炎になってしまいました。食べても戻してしまうことの繰り返しでやせ細る中、夫婦で何度も涙を流しながらも、回復にこぎつけました。しかし銀太郎は、後遺症で慢性腎盂炎を患いました。「僕が、もっとネコのことをちゃんと知れていたら…」と申し訳ない気持ちになる僕たちをよそに、それでも銀太郎はいつも笑顔を届けてくれて9歳まで生きてくれました。手がかかるからこそ余計に可愛くて愛しかった銀太郎、大切な家族を失った僕たちは、ぽっかり心に穴が開いてしまいました。
銀太郎が家にいない生活に少し慣れてきたある日、玄関をあけると牛柄の子猫が座っていました。その子猫は、驚愕する僕のズボンに手をかけて、ガシガシと登ってきます。変な声で鳴く、変な柄の白黒ネコは、そのまま我が家に居つくことになりました。名前は玄、「玄関の玄」そして「元気のゲン」です。「元気でご飯を食べてたら、それで良し」という教育方針のお陰で、すくすくと育った玄は、すっかりワガママなビッグボーイ(7キロ)になりました。ワガママすぎる玄に手を焼いた僕たちは、保護ネコのわさびを迎えました。わさびも、玄に似た変な柄です。そして保護ネコハウスで、「俺、変な柄だけど、連れてってよ。」と語りかけてきたような気がして、連れ帰りました。またまたある日、玄関付近から子猫の鳴き声が聞こえます。妻が「ニャ―」と親猫の鳴きまねをすると、ひょこひょこと現れたクロネコがロクです。暴れん坊で甘ったれのロクも、我が家の一員になりました。3匹と二人によるこの幸せな生活が、いつまでの続いてほしい…そう考えていた矢先、玄が肥満細胞腫であることが分かりました。そして調子を崩してからわずか7日余り、あっという間に旅立ってしまいました。痩せることもなく、ビッグボーイそのままの玄らしい姿でした。大切な家族を失う悲しみは癒えることはありません、それでも最高の時を過ごしたからこそ、こんなにも悲しいのだろうと、一緒に過ごした時間を愛しく感じています。
話は変わり、そして少しさかのぼります。音楽家として何とか身を立てれるようになった僕は、何か音楽で社会に恩返しをしたいと考えるようになりました。そして、2007年より毎年「盲導犬チャリティーコンサート」を、地元の広島で行っています。このコンサートは盲導犬訓練センターからPR犬をお迎えし、盲導犬がどのようなものかを知るとともに、音楽を楽しんで頂くものです。そして頂いた募金の全額を日本盲導犬協会へと寄付し、累計約70万円を盲導犬育成のために使って頂くことが出来ました。
僕が望んでいることは、きっと皆さんと同じです。
人間も動物もたった1つの命を大切に思い合える社会を、一緒に作っていきたいですね。